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東日本大震災復興支援 現地の様子
山元町の近くのお店でお昼をとりました。 震災直後に支援活動に来た時にもこのお店によりましたが お店が新しくなって、綺麗になりましたね。 5年前の時は食材が手に入らないのに、無理してお店を開いて対応してもらいました。 その時の味は正直覚えていません。 恐慌スケジュールで、道も凸凹で街中ががれきの山で食事どころではありませんでした。 今回は,ほっき貝を堪能しました。 身がプリプリで、食感がいいですね。 炊き込みご飯の味が、だしがきいていいですね。 懐かしい味で、感動ですね。 5年前の同じ店とは思えません。 復興してますね。 5年間で3回支援に来ていますが、今回は温泉宿泊しました。 女将さんが、越谷に一時批難していたそうです。 テント一張りの寄付に、総額60万円以上の関係費用ですが地元の支援には 現場でお金を使うことも大切ですね。 |
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東日本大震災あれから5年
ほとんどの倒壊した建物は、住民の感情を優先して解体されていますが 無事に助かった施設は、一部保存されていました。 その一つの中浜小学校は、かなりすごいですね。 いきなり時計塔が、津波がきた時間をさしたままですね。 なぎ倒された柱を見ると、津波の力のすごさを感じますね。 この小学校は、海に近いのですが山側に逃げる時間がないと感じた校長先生が 生徒全員を、校舎の三階にあたる小屋裏に避難させて難を逃れたそうです。 丸いステンドグラスの小屋裏に、30人以上の生徒が避難し一夜を過ごし その後自衛隊に救助されたそうです。 判断が良かったの一言ですね。 ここで10m以上ありますね。 この学校は、最初から土台が1m以上高くできているので良かったですね。 この小学校の周辺の震災直後の様子ですが、手前には墓石がかなり 倒れている様子がわかります。 その後、共同墓地の形をとっている様子ですね。 黄色いハンカチが、非常に心に残りますね。 |
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東日本大震災復興支援
宮城県の山元町の福祉協議会に5年ぶりに訪問しました。 テントを一張り寄付しました。 今回は、現地に還元をする意味もあって一泊していろいろと見学もしました。 町役場は建替えの為解体されていました。 仮設住宅は、かなり厳しい環境ですね。 高齢者の人達が、5年もここに住んでいるとは悲劇ですね。 防潮堤はかなり構成が、複雑ですね。 400キロもこの状況は、かなり厳しいですね。 外は海ですが、波はかなり荒れていました。 国が先導して復興をしている状況は、理解できましたが安心して 住民の人達が、生活できる環境になるかは厳しいですね。 お金をかけて、誰も戻れない土地になるような気がしてしまい 残念な気持ちになりました。 海沿い以外は、かさ上げが進んで綺麗な住宅地になっていたのは安心しました。 |
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地震の前の善光寺
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まもなく東日本大震災から一年、現場は今・・・・・
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がんばろう東北!!!
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特別、問題ないです。
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